月刊 《園芸世界 2月》
昔から日本ではさまざまな年中行事があり植物との関わりも深いものが多いですね。お正月飾り・ひな祭りの桃の花・こどもの日の菖蒲・七夕の笹・月見のすすき・冬至のゆずなど今思いつくだけでもたくさんあります。最近は、それに加えてイベントが海外から日本にやってきて、急速に普及しています。
■ハロウィン
最近、急激に普及しているイベントに「ハロウィン」があります。10月31日に行われるハロウィンは日本人にとっては、なじみの無いものでしたが、仮装をし、かぼちゃの提灯を飾る楽しそうなイベントというイメージから新しい物好きの若者から広がって行ったのではないでしょうか?
日本のガーデニングの世界でも、今やハロウィンは一大イベント!季節になるとハンギングや寄せ植えなどにはハロウィンのオーナメントがかかせません。秋の収穫を祝うハロウィンのころには、いろいろなガーデニングフェスティバルも行われますから、楽しい演出が目に触れることも多くなります。
アネモネには球根と宿根草があるが、ここでは球根に限定する。初めて作った時は実生球を買って植えたが、全部球根の上下を逆に植えて、その芽はでんぐり返しで発芽した。今思えば懐かしい思い出である。50数年以上前の話です。
時は流れてアネモネ・ブランダを横浜の花光園の中村隆吉さんに頼んで色々の雑球根と一緒にオランダから輸入して貰った。この頃は輸入するものは全てが隔離栽培が義務付けられていた。アネモネ・ブランダの園芸品種は'アトロコエルレア'で、その他の小球根と一緒に懸命に種子を採り4〜5年かけて販売球が出来た。当時はこんなことをしていてもコストがどうのなどとは誰も考えなかった時代でした。
菊咲きアネモネやその他の営利品種は種子からも早く生産出来るが、これ等は先進地としての産地があるため私等は手を出す余地も無かったが、私が今でも大好きな系統でセントバボー・アネモネ Anemone × fulgens 'St.Bavo' はミックスカラーであったが種子も良く採れ、小形の一重は愛らしく今でも忘れられない。
サンインギクは1934年(昭和9年)日本海に面した石見の大田市産の標本によって記載された。和名は山陰菊でその名のとおり山陰の各地から分布が追報され、現在では北は能登半島基部の氷見市阿尾城址付近から、南は北九州市を経て熊本県下と、そしてさらに洋上の五島列島にまで、広い範囲に産地が知られている。分布がこのように各地に及んでいる事実は、実はサンインギクは純然たる野生種ではなくて、シマカンギクとイエギクとの、野外における自然交雑によって生れたつまり間種であることに、これは無関係ではないであろう。
大田市は日本海に面して、小さな集落が海岸に散在する小丘にへだてられながら分布している。集落の背後に迫った小丘は急崖になっている場所も多く、そこへ行くと申し合わせたようにその崖にはシマカンギクが咲き乱れていた。かたわら集落の中には家庭菜園程度の畑が混在することが多く、そこには畑作物に混じてさまざまな花色のイエギクが栽培されていた。この土地の人はよほど菊が好きだと思ってたずねたら、菊だけでなく四季に墓地に供える花を切らさないようにしていると云う。私はそれを聞いて再び地図をひろげ、近くの小丘の裾に墓地を持つ寺を探しだし、それに向かって歩いていた。寺の石段を登ったら、狭い前庭に白と黄と二株の菊花が咲いていた。無人の寺で挨拶のしようもなく、その花の前にしゃがみこんだら二色の花ともまぎれもなくサンインギクであった。これに勇気を得て寺の背後の墓地へ登ったら、まさにそこはサンインギクの諸型の展示場であった。
とにかくこの土地の人々は墓地の管理にこまめに手を入れている。先程聞いた四時花を絶やさないという話もここで実感したが、四周の掃除にも念が入っている。そしてこの墓前に供えたり墓地のへりの藪の根元に捨てられたイエギクの花粉は、墓地の周辺に自生しているシマカンギクに、いつでも届いていて当然であろう。極めて稀な偶然ではなく、毎年秋ごとにこの出会いは現出されていた筈である。